top of page
  • 執筆者の写真WCF TEAM

帰国編「THE WAY Russia ✖️ Japan」

THE WAY 帰国者編では、海外での経験を活かし、帰国後も輝き続ける女性たちをご紹介します。

今回ご紹介するのは、2021年4月からの約1年間をロシアで過ごした、眞野多恵子(まの・たえこ)さんです。旦那さんの海外駐在に伴い、2人の息子さんと一緒に家族4人で首都・モスクワで暮らしていました。ロシア軍のウクライナ侵攻により2022年3月に急遽帰国し、現在は東京で政党新聞の編集者として働いています。


多恵子さんご家族はいわゆる「転勤族」で、現在の家は6軒目だそう。住まいが移っていくなかで、多恵子さんはどのようにキャリアを築き、妻・母・そして一人の女性としての選択を重ねてきたのでしょうか。新しい土地で一から生活を築く苦労や専業主婦になり一時停止したキャリアに対する葛藤、そして、短くも濃いロシア生活について話してもらいました。




結婚、出産、子育て、復職、そして海外へ。


大学卒業後、中学校の英語教員として働いていた多恵子さんは、旦那さんの転勤で東京から福井県に引っ越したのを機に、仕事を辞めて専業主婦になりました。


「2人の子どもが生まれて仕事復帰はなかなかできなかったのですが、専業主婦には全く向いていなくて。なので、週末に派遣の仕事をしたり、今後の仕事に生かせられたらと英検を受けたりして過ごしていました」


その後、旦那さんの転勤で再び東京へ戻り、長男が小学校にあがるタイミングで復職することに。家族の紹介で、政党団体の事務として働き始めます。教職に戻ることも考えましたが、好きな仕事だからこそ手を抜きたくない。そう思ったときに、教員の仕事と子育てを両立できるイメージが描けなかったのです。


政党の仕事は初めてのことばかりでしたが、働きやすく、おもしろかったのだそう。同僚は皆優しく、働くことの楽しさを感じる毎日でした。


しかし、働き始めて3年が経った頃、旦那さんのロシア駐在が決まります。多恵子さんは家族が一緒にいることを優先し、仕事を辞めて駐在に帯同することに。再び専業主婦に戻りました。



子育てを思い切り楽しんだ専業主婦時代の写真
子育てを思い切り楽しんだ専業主婦時代

言葉のわからないロシア生活。現地との架け橋になったもの。


いざロシアでの海外生活が始まると、ほとんどの時間が子ども中心にまわっていきました。おそらく2〜3年はロシアにいるだろうと予想していたものの、旦那さんの任期は未定。限られた時間のなかで、子どもにどういう生活を送らせてあげられるだろうか、最初の頃はそればかりを考えていたといいます。


「ロシアの公用語はロシア語なので、言葉が通じないのも不便でした」


言葉が分からない国では、なかなか現地の情報にアクセスすることができません。そのため、必然的に日本人のコミュニティのなかで過ごす時間が多くなるもの。特にロシアの日本人コミュニティは家族的な繋がりがあり、ほとんどの人が家族構成や勤め先などの情報を互いに知っています。小さいながらも強固なので、そのコミュニティの中で暮らしを完結することもできてしまうのです。


そんななか、多恵子さんは「ロシアらしさ」を経験する機会を得ます。子どもたちのサッカークラブです。多恵子さんはロシアへ来てすぐ、子どもたちのためにサッカーができる場所を見つけてあげたいと思っていました。そこで見つけたのが、現地のクラブチームだったのです。


「チームメイトはロシア人ばかりでした。日本と違って親も子も熱狂的で、みんなコーチにはっきりと自分の意見を言うんです。喜怒哀楽もストレートに表に出していて、なんか良いなと思いました」


サッカーを通して得た現地の人との関わりは、多恵子さんや子どもたちにとって、視野を広げる良い機会となりました。



子どもを通してロシアを知る機会も!
子どもを通してロシアを知る機会も!

駐在妻のキャリアの葛藤、私はこうして乗り越えた


一度は専業主婦を経験し、向いていないことを自覚していた多恵子さん。ロシア生活にも慣れた頃、多恵子さんのなかには、たしかに「働きたい」という思いがフツフツと湧き上がっていました。


「家族はもちろん大事だけど、キャリアという点ではどうしても夫を羨ましく思ってしまうことがあるんですよね。夫は対価や評価を得て、ステップアップしている。一方で、私はストップしてしまっているような気がして、焦りや虚無感を感じることもありました」


そこで多恵子さんは、日本のNPOが主宰するボランティア活動に参加し、塾に行くことができない日本の高校生にオンラインで英語を教え始めます。


「働いていなかったり、言葉もわからない異国の地にいたりすると、社会との繋がりを感じる機会が少なくなるんです。だから、英語を教えるボランティアは、キャリアの面だけでなくメンタル的にも大きな意味をもっていました」


駐在帯同家族は、ビザの都合で現地就労できない場合もあります。しかし、ボランティアは許可されていたり、オンラインで日本の仕事を請け負うことができたりすることもあるのだそう。私たちの生活を一変させたコロナですが、リモートワークを一気に推し進め、場所を問わずに働ける環境が整ったという点では、海外生活者に一筋の光をもたらしたように思います。



海外でも「できること」を見つけていました
海外でも「できること」を見つけていました

まだまだ知らない国、ロシア!世界一の国土、世界一の湖。


たった1年という短いロシア生活でしたが、普段の生活や旅行を通して、ロシアの魅力を感じることができました。


例えば、電車に乗っているとき。ロシアの人は女性や子どもに優しいので、必ずといっていいほど席を譲ってもらったそう。親日の方が多いといいます。


また、首都であるモスクワには、レストランもスーパーも高級店から安いローカル店まで幅広く揃っているので便利です。果敢にローカル店も利用していた多恵子さんは、日本人の友人たちから「チャレンジャー」と言われていました。現地のスーパーを覗くと、無農薬野菜が並んでおり、ロシア人は添加物や農薬を好まない人が多いことが分かります。


多恵子さん家族はモスクワに住んでいましたが、休日には足を伸ばしてバイカル湖などへの旅行も楽しむことも。バイカル湖は、世界遺産にも登録されている三日月型の美しい湖です。世界一の透明度を誇り、「シベリアの真珠」とも称されます。


「家族で旅行できたのは、良い思い出です。バイカル湖周辺にはトタン屋根の家々が並び、モスクワの人とは異なる地方の暮らしも垣間見えました」



一面に広がる流氷。寒さのなかに感じる美しさ。
一面に広がる流氷。寒さのなかに感じる美しさ。

ロシアのウクライナ侵攻に、何を思う。


何年の任期かも分からずに始まったロシア生活でしたが、その終わりは突然訪れます。2022年2月、ロシアがウクライナ侵攻を開始したのです。


ウクライナ侵攻がニュースで伝えられたとき、多恵子さん家族はまさにバイカル湖への家族旅行中でした。当初は数日で落ち着くだろうと思っていましたが、モスクワに戻ると町の雰囲気は一変していたそうです。


「ちょうど子どもの学校の春休み前だったのですが、現地の日本人は春休みを待たずに慌てて帰国の便を抑えるのに必死でした」


世界が注目するニュースの渦中に、まさか自分が巻き込まれるとは──。誰もが焦りと不安を感じていました。持てるだけの荷物を持ち、ロシアへ戻れる保証もないまま皆帰国していきます。多くの人が、友だちに「さようなら」さえ言えないままお別れしなければなりませんでした。


多恵子さんも、きっと新学期は日本で迎えることになるだろうと学用品などを持ち帰り、東京へ。そのまま本帰国となりました。


「息子たちは今のウクライナ情勢をとても身近に感じているようです。これもロシアに住んでいたからこそ。海外生活は子どもにも大きな影響を与えたのだなと実感しました」


日本に帰ると、連日ニュースでウクライナ情勢が伝えられています。そのほとんどが、どれだけロシアが非道か、どれだけウクライナ市民が苦しんでいるかを中心としたもの。


ところが、実際には、ほとんどのロシア人は戦争を望んでいません。彼らはSNSなどで戦争に反対だと発すれば、警察に拘束されてしまいます。そのため、意見さえできないというのが現状なのです。


自分たちの生活にも大きな影響を与えたロシアの非道な決断への憤りを感じながらも、多恵子さんは、ロシアで出会った親切なロシア人たちを思い出さずにはいられません。連日メディアでは多くの非難がロシアに集まりますが、その裏にある、報道されないロシア人の苦悩や優しさを知っているからです。



子どもにとっても大きな意味をもった海外生活
子どもにとっても大きな意味をもった海外生活

転勤族としての暮らしとキャリア


兵庫→大阪→福井→東京→ロシア→東京と、住まいを変えてきた多恵子さん。その多くの時間を専業主婦として過ごしてきましたが、モスクワから東京に戻った今は、政党で政党新聞の編集者として働いています。


もともと事務の仕事をしていましたが、この春から未経験の編集に挑戦することに。取材や執筆なども担当しています。


「ロシア兵の実情と同じように、報道の裏には私たちが知らない事実がたくさんあります。だからこそ、自分の目で見ること、現場に行って話を聞くことの大切さを感じるようになりました」


多恵子さんは今、主に「子どもの権利」や「食」の分野に興味をもち、積極的に取材を行っています。


「子どもが生まれてから料理が好きになりました。今は農業をやってみたいと思っているんです。大好きな教員を続けられず、専業主婦になったり駐在に帯同したりしたけど、今編集の仕事を楽しめているのも食に興味をもったのも、全て過去があったから。だから、流れに身を任せるのも良いんじゃないかなと思うようになりました」


転勤族のキャリア形成は、自分のキャリアとパートナーのキャリア、子どもの教育、住む場所…と、さまざまな要素の組み合わせを考えなければなりません。


「仕事と子育ては、いつもバランス良くなんてできません。どちらかを選べば、もう一方で申し訳なさや悔しさを感じます。でも、結局母親が笑顔であることが一番だと思うんです」


言葉が通じない、日本の資格が生かせない、帰国の時期がわからない……と、挙げればキリがないほど制限が多い海外生活でしたが、ときには家族を優先しながらも、しっかり自分が笑顔でいられる選択ができたのは、流れに身を任せる柔軟性と「自分の機嫌は自分でとる」という強さをもっていたから。


この先住む場所や家族の形が変わっても、その先々でたくましく暮らし、チャーミングに笑う多恵子さんが目に浮かびました。


「自分の機嫌は自分でとります!」と笑顔
「自分の機嫌は自分でとります!」と笑顔

多恵子さんの、次なるチャレンジもますます楽しみです。



Thank you for reading this, and we are always here for you !


Women can fly.




Much love, xxx

Team WCF




※WCFメールマガジンではいち早くWCFの記事をご覧いただけます!

メールマガジンのご登録をcontact (下部)お願いいたします。



閲覧数:82回0件のコメント

最新記事

すべて表示

申し込む

提出していただきありがとうございます!

bottom of page